| ● 1960年 |
在学中の青山学院を中退し、単身マドリッドに留学する。血みどろの修行を経て、スペイン随一といわれるタブラオ・コラル・デ・ラ・モレリアに日本人として初めて出演し、絶賛を浴びる。 |
| ● 1975年 |
NHKホールでスペインの国民的詩人ガルシア・ロルカの長編詩「イグナシオ・サンチェス・メヒーアスへの哀歌」の舞踊化に挑戦。一人の闘牛士の生と死を踊って、芸術祭優秀賞と舞踊批評家協会賞を受賞。 |
| ● 1977年 |
「サロメ」では、女の魔性とエロティシズムの大胆な表現に成功してゴールデンアロー賞を受賞。
以後、ロック、アフロ、サンバなどとその創作意欲は留まるところを知らず、国境を超え、民族の別なく、その血とリズムを吸収しながら独自の世界を創り始める。 |
| ● 1980年 |
母なる日本に回帰し「道成寺」に挑む。形骸化しつつある古典舞踊を現代に蘇生させた踊りと絶賛を浴び、芸術祭大賞に輝いた。 |
| ● 1982年 |
宿願のニューヨークのリンカーンセンターで「道成寺」を再演し、3000名を超える観客を魅了。“東洋と西洋を結ぶ踊り”と評され、国際的ダンサーとしての評価を得る。 |
| ● 1983年 |
50人の僧侶による声明をバックに、人間の原罪と救済を追及した「曼陀羅」を上演。翌年、ニューヨークで再演し大反響を巻き起こした。 |
| ● 1984年 |
ニューヨーク公演「曼陀羅」カーネギーホール |
| ● 1985年 |
「鷺娘」 |
| ● 1986年 |
「鬼婆」 |
| ● 1987年 |
「安達ヶ原」「浮世風呂」と伝統的な世界へオリジナルな発想をもって取り組み、注目を集める。 |
| ● 1988年 |
創作フラメンコ「ある恋の物語」 |
| ● 1989年 |
能の「鐡輪」、「オイディプスを愛して」 |
| ● 1990年 |
「うきふね」国立劇場、「ローレライ」中野サンプラザ |
| ● 1991年 |
「羅生門」国立劇場、「メドゥーサ」中野サンプラザ |
| ● 1992年 |
「雨月物語」国立劇場、「くろいわらべ唄」中野サンプラザ |
| ● 1993年 |
「卒塔婆小町」(三島由紀夫作)国立劇場とエクイタブルシアター(ニューヨーク)
「宇受女」 中野サンプラザ |
| ● 1994年 |
「三国妖狐伝」国立劇場、「炎のように火のように」中野サンプラザ |
| ● 1995年 |
再演「鬼婆」国立劇場、「裸足の伯爵婦人」中野サンプラザ
全国13ヵ所で「僧侶と托鉢 行脚の旅」を行い、寺院の庭、四条河原、公園などで踊り、話題を呼ぶ。 |
| ● 1996年 |
「櫻姫」国立劇場、「娼婦マヤ」中野サンプラザ |
| ● 1997年 |
「滝夜叉」国立劇場、「シバ」中野サンプラザ |
| ● 1998年 |
「名月八幡祭」国立劇場、「サンセット大通り」中野サンプラザ |
| ● 1999年 |
「ヤス子 炎 フラメンコ」(青山・円形劇場)と題して20年ぶりにフラメンコを踊る。
「三井の晩鐘」(国立劇場)「双頭の鷲」中野サンプラザ |
| ● 2000年 |
「あるジプシーの女」(大崎ゲートシティーホール)「黒魔術の女」中野サンプラザ |
| ● 2001年 |
「あるジプシーの女」(アートスフィア)「さいかく〜好色一代女」(国立劇場)
「ジプシー」中野サンプラザ |
| ● 2002年 |
「ガラスの糸の上で」(アートスフィア)「妖花かつらぎ」(国立劇場)
「ジプシー」中野サンプラザ
紫綬褒章を受賞 |
| ● 2003年 |
「愛と死を抱きしめて〜白蛇伝」(アートスフィア)「オルフェ」中野サンプラザ |